2011年11月30日
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大宮前の謎

Written By: 川俣 晶連絡先

 大宮前をうろついても、どうも釈然としません。大量の水路の痕跡があるのに、釈然としません。

 しかし、おおむね整理が付いてきました。

 以下の2点です。

  • 水路跡の位置関係が高低差と上手く噛み合ってない
  • 水路跡の規模が通常は下流になるほど大きくなるはずが、そうなっていない

 そこで、てさんよりメッセージが来ました。

名前: て

本文:

川俣さん。こんばんは。

とうとう、ここに進んだか~って感じです。

西荻付近で中央線工事で出た湧水の排水路のナレノハテとか、言はれていますね。しかし、善福寺川とも繋がっていて、どっち向きなのか、悩む所もありますネ。

慈宏寺は、準菩提寺なので、内部を探検した事があります。

水路蓋が石の通路となり、ちょっと見には、分かりません。綺麗です。

また、近所で自宅の敷地内を水路が通る古老にインタビューしたことが、あります。

『元々水路周辺は大地主の持ち物で、廃止水路ごと買い取らされた』との事です…

かなり古い時期に廃止されたようです。

また、何処まで人工物か不明ですが、新しい河川の様です。

更に珍しい事ですが、西荻付近は、東京都下水道局の持ち物です。

またも長々申し訳ありません。

寒くなって参りました。ご自愛下さい。

 実はここで大きなミステークに気づきました。

 「これは本来1本の水路ではない」

 以下の点から推定すると、1本ではあり得ません。

  • 高低差から見て、天然の水路があったことは間違いない
  • 人工水路的な特徴を持っている部分がある

 つまり。この2つの認識を両立させるには、「これは本来1本の水路ではない」と解釈するしかありません。

 更に、甲武鉄道で検索して灯台もと暗しということが判明。なんと、杉並の川と橋に説明があるじゃありませんか。

杉並の川と橋p42より

前述した鉄道敷設用土採取跡地の池は、高円寺、阿佐谷の他に、西荻窪駅の西に線路を挟んで二か所あった。一つは(12)松庵窪の男窪であり、もう一つは(13)女窪である.この下水路は、杉並に隣接する吉祥寺の悪水処理を、甲武鉄道敷設工事に伴う工事用土採掘後の湧水と共に処理するために造られた。大正十三年高井戸村絵図と昭和五年同町絵図に私有水路として表示されている。道路地図によると男窪からの流れは、高井戸第四小の正門前を流れて(暗渠にした後、そよ風通りと命名)84慈宏寺裏の湿地の悪水や柳窪の悪水を集め、後の荻窪公園となった所の水も集めて善福寺川に落としていた。昭和十二年高井戸第四小学校建設が決められた時、「大宮前下水の汚水停滞、汚染甚だしく保健衛生上からも改修をしておかないと、万一の洪水によって新設の学校が被害を受けるという事があってはいけないので、至急改修をして欲しい」旨の陳情が出されている。一方の女窪からの流れは、神明中学校の周りを流れて本村橋付近から善福寺川に落ちていた。

 だから、自然の水路と人工水路の混成水路というわけです。両方の特徴が見られるのはある意味で当然。

 更に次のページの図に色を付けたもの。

杉並の川と橋より(加工)

 青線を追いかけてきましたが、実は赤線にも水路が描かれています。つまり、別の出口があるなら途中から水路が細くなってもおかしくないわけですね。

その他 §

 ちなみに、「高低差に比して規模が過大すぎる箇所がある」という違和感もあります。それほど大きな流れがもともとあったとは思えませんが、それに比べて規模が大きすぎる箇所があると感じました。しかし、この解釈なら納得です。もっと言えば、人工水路と自然水路の複線状態だった時期があったようです。現在の痕跡で両者が1つにつながっているのは、整理統廃合の結果に過ぎないのかも知れません。

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